2014年5月23日金曜日

Les petits rats 5


バレエを習わせ始めて1年くらい経った頃、私は早くも挫折しそうになっていた。仕事がうまくいっていなかったこともある(会社は事務所を畳むわ、ボスは後片づけを放棄して帰国するわでほんまにもうっ……という状態だった)けれども、それよりもこの環境でいつまで正気を保てるだろうかと(笑)かなり自信がなかった。「この環境」というのはいわずもがな、バレエ教室に通う子どもは裕福な家庭が多数派であるということであり、(えせ)セレブな奥様たちの天国状態、という環境のことである。
奥様たちとは価値観も異なれば話も合わないが、不幸中の幸いは多数派の中に「お下品な人たち」があまりいなかったことだ。経済的な豊かさと品格は比例しないし、現代日本ではほとんど関係ない。したがって「この環境」の中でも、ときたまとんでもない人に遭遇する。しかし、娘が所属していたクラスの場合に限るのかもしれないが、とんでもない人々は早々に去った。セレブも苦手だが、お下品はもっと苦手だ。なぜなら、ふと気を緩めるとそっちへ引っぱられてしまう自分を、否定できないから。人間というものは転落するほうが簡単なのである。

幸い多発しなかった「お下品な人たち」はさておく。
そんなわけで、裕福な多数派に混じって、出てくる話題に内心びっくり仰天しながらも(笑)会話を成立させる健気なワタクシ。適当に相槌打って、おほほと笑っていればやり過ごせる。とはいえ、なかなか、いつまでたっても慣れないのであった。1年に2回、発表会があるけれども、本番が迫ってくると土日には通し稽古が入れられ、親も子も休日返上となる。子どももたいへんだが、我が子がちゃんとしてるかどうか気が気でない保護者たちは長時間レッスンを見学したり、終了時刻に迎えに来ても練習が長引いて延々と待機したりする。こういう時間の潰しかたに、私は慣れずにいたのである。こうした時間を「多数派」たちとおしゃべりをして過ごす……。これでも繊細なワタクシは(笑)、かなり絶望的な思いにとらわれていた。かくして、2年目の秋の発表会は出演を辞退することにしたのだった。

娘が小学校に上がってすぐ、私は前述したように仕事を失くした。正直、いろいろなことで疲弊しきっていた。現況から脱出したかった。アタマを干しココロの洗濯。もちろん、そんなふうには言わず、夏休みはフランスヘ行こうよ、長く休みをとれるのはめったにない機会だから、と言った。娘は旅行が好きだから、わーいと喜んだ。

6月ごろから、9月の発表会に向けた練習が始まり、7月になると本格化するが、出演しない子どもたちは臨時クラスが設けられ、年齢を問わずレッスンはその時間帯に一本化される。ほうり込まれる感じだ。出演しない子でレッスンに来る子というのはとても数が少ないので、意外ときめ細かくレッスンされてよいのだが、疎外感は否めない。

9月の秋の発表会は、私たち母娘は客席で観覧した。たいへん楽しく舞台を鑑賞できた。しかし娘ははっきりと言った。「来年は、ぜったい出る」

発表会を休むことが、自分にこれほど大きな喪失感をもたらすとは! ……と、思ったかどうかはわからないが、一度発表会を休んだことで却って舞台への執着心を喚起してしまった。発表会に出なかったのは、あとにも先にもこの小学1年生の秋だけである。そっか、来年は出るってか……出たいのか、やっぱし。私は、あわよくば「発表会、1年に1回出られたらええわ」と言わせようと思っていたが裏目に出てしまいましたの巻、となったのだった。まじめにしっかりお稽古せなあかんよ、お稽古中お友達とふざけたりしたらあかんよ、と、けっしてふざけることなく真面目に練習している娘に向かって、大きなお世話の念を押した。

秋が深まると、翌春3月に行われる春の発表会の配役が決まる。小学校低学年までは群舞しかあたらないが、それでもどのパートを踊らせてもらえるのか、子どもたちはワクワクして配役の発表を待つ。クラスごとに受け持つパートが決まると、振り付けが始まる。
我が娘は水を得た魚のように、以前にもまして喜び勇んでレッスンに向かうようになった。低学年クラスは1年生から3年生までが一緒に練習する。最初のうちはとても大きく感じられた3年生のお姉さん生徒たちだったが、小さいなりに、先輩の得手不得手が見えてくるようになる。「Bちゃんはぴたっと止まれへんからいつも注意されたはる」「Cちゃんは足上げた時膝が伸びてきれい」

一度だけ、恐れ多いことに、先輩に「意見」したことがあったそうだ(笑)。
腕、もうちょっと上と違う?みたいな、ちょっとしたことだったらしいけど、その3年生は「アンタに言われたない」と言い返したそうだ。おおこわ(笑)
娘は、言い返されたことを気に病む様子はまるでなく、先輩のその癖を「直したらすごくきれいやのに。そしたらみんなとも揃うのに」と案じてみせる。君、余裕だな(笑)。しかし人のことより、自分のことは大丈夫か。そんな親の心配をよそに、どこ吹く風でレッスンを満喫する我が娘。ほんとうに、楽しそうである。

そろそろ「オンナ」が顔を出す小学生。ちょっぴり火花を散らしながらの練習を彼女たちなりに懸命にこなし、総勢約40人の低学年2クラスによる妖精たちの踊りは、なかなかに迫力があった。いや、親バカですけどね。どの子も上手に見える振り付け、配列には無理がなく必要十分で、よく考えてあるなあと前年同様感心した。

最初に書いたように、発表会があると保護者どうしのコミュニケーションが活発になるのだが(笑)、私はもう腹をくくった。
こんなんたいしたことちゃうわ、と開き直ることができたのは、バレエ教室に向かう娘のまなざしになんともいえない真剣さが見えたからだ。もちろんまだまだ頼りなげだが、その瞳には充実を実感する者だけが見せる輝きがあった。その真剣さがほんとうにホンモノとなって結実するかどうかなんてわからなかったし、問題はそのことではなかった。そうではなくて、私の都合で娘の好奇心や向上心を左右したり遮断したりすることは論外なのだ。私は改めて肝に命じた。えせセレブ奥様なんかこわくないわよ。有閑マダムトークがなんぼのもんじゃい。というわけでイバラの道は続いたのであった(笑)。

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