2014年5月4日日曜日

Les pieds...!

近所に、古い小学校校舎を改修したギャラリー&ホールがある。少子化のあおりを受けて多くの小学校が廃校になったが、このホールのように校舎のレトロな雰囲気を生かして改修・再利用するケースがほとんどだ。壊して真新しい建物にする場合も、ファサードは残すとか、校庭部分は残して地域のレクレーションの場にするとか、活用に苦心する様子は見受けられるもののなんとかさまざまに利用されている。

このホールはふだん芸術センターと呼ばれていて、著名なアーチストの公演や個展のほか、子どもたちの絵画や書道の作品展、学生の発表の場、伝統芸能の体験教室など多彩に活用されていて、廃校再利用としては成功例に入るだろう。私も娘もよく足を運び、音楽会、人形劇、コンテンポラリーダンス、狂言、落語などを鑑賞したり、絵画など美術作品の鑑賞にも行ったし、娘がうんと小さい頃は、図画工作の実習はもちろん、能楽の小鼓の体験学習も受けた。大人向けに、和室で茶道教室や校庭でテニススクールも開催されていると聞く。

2月、ここを会場に、フィンランドの振付家&彼のカンパニーが京都の実験ダンス集団と協力してダンスの上演を行った。フィンランドと書いたがアイスランドだったかも、ノルウェーだったかも、いや違うかもしれん……北欧には違いないけど、忘れた。
ダンスというよりはボディパフォーマンス。実は私はそういうものが大好きである。若い頃は、アングラ劇団やマイナーなミュージシャン、不思議な実験映像や身体表現を追いかけて、怪しげな掘建て小屋や廃墟ビルや空き地に建てたテントなどへ足を運んだ。何年もそういったものから遠ざかっていたけれど、できるだけ時間を確保して少しずつ好きなものへのアクセスを増やしていきたいと、切に思う今日この頃であったのである。芸術センターの公演はたいていリーズナブルなので、つねづね情報に目を光らせていたところ、件のコラボ企画が目に留まった。その北欧の振付家もカンパニーも知らなかったが京都のほうはコンテンポラリーでは名の知れた集団だったので、迷わず行くことにした。そう決めると、久しぶりに心躍った。

昔の校舎の講堂を生かしたスペースをそのまま平らに使って、白いテープでパフォーマンスエリアを区切り、その外側に、エリアを囲むように観客がぺたりと座る。ダンサーたちは白いテープのそこかしこからおもむろに歩き出したり走り出したり這い出したりして動き始める。いきなり、そのへんにいる人たちが立ち上がって、すっと動き始める。

ポーズ(休憩)を挟まずに、次々と身体表現が繰り広げられる。音楽は北欧の彼らと行動をともにしているオランダ人のミュージシャンが 隅っこに陣取り、ギターを弾いたりパソコンで電子音を出したりしている。ダンサーの動きを見ながら操作している、あるいは、好き勝手に音を出している。音に合わせて踊って(動いて)いるというよりも、あっちで鳴っている音と、こっちの人々の動きがたまたま出会ってシンクロしているといえばいいのか。見よう、聞きようによっては、緻密に計算され尽くしたパフォーマンスであるとも思える。
2時間余、たっぷり「カラダが創り出す空間」を堪能した。表現者たちはラフなシャツとパンツ、あるいはタンクトップやTシャツといういでたちで、色もバラバラ、何ひとつ統一された記号的要素はないのに、不思議な一体感を醸し出したボディパフォーマンスだった。
面白かった。芸術として、舞踊作品として非常に面白かったと言っていいのだが、専門的な批評眼をもたないので、私自身が受けた感銘をあまりうまく書き表わせないのが残念だ。

なにより、衝撃的なほどに感動したのが、彼らの「足」だ。
過去に何度もコンテンポラリーは観ているが、こんなに間近に裸足で踊る人の足を見たことはなかったかもしれない。昔、舞台にかぶりつきで鑑賞した覚えもあるが、たぶんその頃は「足」に関心がなかったのだろう。今回、私はダンサーたちの「足」ばかり見ていた。彼らの足は実に大きく、カッとゆびが開かれ、土踏まずはえぐられたように高く深く、中の関節がくるくる回るのが透けて見えるかのようなくるぶしをもっていた。ゆびも甲も土踏まずも「もの」を言う。足は高く振り上げられたり床を滑ったり、パートナーの脚や背の上を這ったりする。ダンサー自身の頭、体とは別の生き物が脚の先に付いているようにすら見える、「足」。
なんと力強い足だろうか。
男性も女性も、足による表現は、例外なく素晴しかった。
クラシックにおいても、ポワントを履いた足はその足首、甲、ふくらはぎでさまざまな感情表現をする。高度な技術と丹念に鍛え上げられた筋肉が備わってなければ、観客を魅了する表現はできない。
方法は違えど、裸足で踊るコンテンポラリーも同様である。
「足」は、最も重要なボディパーツかもしれない、ダンサーにとって。

思えば、娘は陸上競技者でもあったので、つねに足の痛みに泣かされてきた。
クラシックバレエと陸上競技とでは、筋肉の使いかたが異なるので鍛えかたも異なる。それは異なる方法で両方使えるようにそれぞれ鍛えればいいんでしょうといわれそうだが、人間の体は、ふつうの人間の場合だが、そんなに器用には働かないのだ。バレエと陸上、それぞれにとって不要な鍛えかたをしてしまうことが徒になり、鍛えてしまった結果本来使うべきでない筋肉をつい使ってそれぞれのパフォーマンス(踊るor走る)を行うと、無理が生じて痛みを発生するのである。

大腿部やふくらはぎの鍛えられかたの割に、娘の足は、土踏まずの筋肉が弱かった。そのため甲に痛みが生じた。リスフランとかなんとかいう傷病名だったり、筋膜がどうこういわれたり、外反母趾の症状もあり、骨折したり断裂したりはなかったけれども足の痛みのために踊れず走れずという日々が続く、といったことも経験した。舞台前のリハーサルで痛みが取れないと、ようやくこなせてきた難しい振り付けをけっきょくは平易なものに変更されたりする。陸上競技の試合や記録会前あるいは当日に痛むと当然ながらそれが記録に現れる。舞台も試合も、どちらも当日の本番一発勝負だから、痛みのせいで不本意に終わると大きな悔いを残す。
「まず休む。十分に休息を取ったら、土踏まずと足指の筋肉を鍛えるトレーニングを集中して行う。走るのも踊るのもそれからあと」
かかりつけの整形外科医が娘を診るたびに言った言葉だ。しかし、娘はバレエを休んだ時は走っていたし、部活を休む時は舞台のリハでびっしりだった。
娘の足はつねに悲鳴を上げていた。もっと足の声を聴け。もちろん、足だけではない、背中も腰も、つねに体はモノを言っている。その声を聴けるのは体の持ち主だけだよ。よく聴いて体の奥の変化を自分で感じ取らないと、ほかの人にはけっしてわからないのだから。10歳頃から娘は母親にそんなことを言われ続けてきた。
小学校で初めて足を捻挫したときに、わーわー、めそめそ、娘は泣いてばかりいた。途方に暮れて私は「泣いてても何がどうなんか、わからんっ」と一喝し、君の痛みは君にしか聴こえない体の悲鳴なのだということを、こんこんと言って聞かせた。

娘は、私の前では足の痛みを理由に泣かなくなった。しかし、浴室で、布団の中で声を押し殺して泣いていたことがよくあった。痛みが引かないまま本番を迎えざるをえなくて、やはり結果が芳しくなかった時は、その晩、こっそりと泣いていた。

例のダンス公演の感想を、娘にメールした。
「足がすごかったぞ。やっぱし、ダンスは足やで!」
返信が来た。
「足ね、足。らじゃー」
わかっているんだかなんなんだか。





足のケアは、何をするにせよ、重要だ。
老親の晩年を見ても、足が弱って歩けなくなることが活力を低下させてしまうのは明らかだ。
実は私自身、高校生の頃からスポーツが原因で足は故障ばかりしていた。きちんと治療せずに放置した結果、体は痛みのデパートと化している。親たちのような晩年を迎えないためにはどうしたらいいか真剣に考えなくてはならないが、自分のことを考えなくてはいけない時期というのは、たいてい子どものことがより重要であったりするのだ。
娘に書くメールの末尾には必ず足のケア忘れるなと書き添える。いたわって、よくマッサージして、ほぐして……etc.
「足」は脚の先に生息している「生き物」だからな。


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