2014年4月3日木曜日

Il n'y a pas "deux pas" pour la danse.

ドイツでダンス修業中の娘が、市内にある別の学校のオーディションを受けて合格したと伝えてきた。在籍中の学校にちょっと閉塞感を感じていて、他の学校で学ぶ可能性を探っていたんだが、こうした芸能・技能系の学校って一長一短ある。良さそうに見えても費用が高額だったり、ある面では劣っていたりと、なかなかすべてにおいて素晴しい学校ってないものだ。あるにはあるだろうが、そんな学校にはおいそれと入れないわけである。
そんなわけで、手当り次第に資料を取り寄せ、体験レッスンやオープンクラスを受けたりして情報収集していたが、在籍中の学校の校長先生とじっくり話をして、残ることに気持ちが傾いているようである。

日本の教育界に顕著な傾向なんだけど、学ぶということに効率を求めるのは間違いである。あることを学ぶとき、学びかたも学ぶ早さも学ぶ深さも十人十色千差万別。もちろん、学校という場所は集団で学ぶので、教える側がひとりひとりに個別対応するわけにはいかない。だから教科書とかドリルとかを用いるのだ。共通の道具を使うことである程度習熟度を測ることができる。ただ、これは教える側の論理である。教える側は「効率よく」全員にマスターさせたいし、教えた成果を「効率よく」実感したい、明文化したい。その気持ちはわかるけど、その「効率よく」進めることを学ぶ側に押しつけてはいけない。「聴き流すだけで英語をマスターできる」CDで、ほんとに「マスター」できた人がどれほど居るのか知らないが、「学ぶ」とはそういうことではない。もし英語を読み書きでき、流暢に話すことができるようになりたいのなら、私ならまず範とする場所を英国か米国か決めて(だって言葉が違うからね)、そしてその場所における生活文化や歴史、美徳とされていることなどを知ることも、語学のレッスンと同時並行で進める。言語は人間が使うものだから人間の営みを知らずしてその言語を知ることなんかできないのだ。

でも、これは私の方法。他者にはベストなやりかたではない。何かを習得するための方法は、ひととおりではない。ないが、はっきり言えるのは近道もないということだ。たくさんの道があって、辿る道はそれぞれ異なっても、絶対に通らなければその先は望めない、そんな関所が、なんにでもある。

ダンスの場合、体づくりと基本の姿勢、動きを完全に自分のものにするためには、クラシックのメソッドが必須といわれる。そのメソッドも幾とおりもあるらしいので、どれがいいとかよくないとかまた諸説あるわけだが、とりあえず、ヨーロッパで誕生して世界各地で発展しているダンス・クラシック。これにおけるバーレッスンは基礎中の基礎だ。このバーレッスンを満足にこなせなければその先はないのである。

で、娘の場合。彼女が将来表現者として踊るジャンルがクラシックであろうとジャズであろうとコンテンポラリーであろうと、今、毎日毎日、言葉は悪いがアホの一つ覚えみたいに繰り返しているバーレッスンにおいて、未熟なうちは次のステップに進むべきではない。
いま在籍している学校の先生から「あなたはまだ十分に学んでいない」といわれたのである。まだまだクラシックの基礎を徹底的に訓練しなければ、どのようなジャンルのダンスであろうと踊れないと。

早い話が、まだそんなに下手っぴなのに何言うてんの、まだまだ発展途上なのよアンタは、これからもびしびし教えるからまず全部こなしなさい、それからほかの学校行くとかヌカシなさい。ということである。

なんにしろ、合格通知は嬉しいものだ。
自分の実力を測るにはいい経験になったであろう。
でも、謙虚に。足りないものがまだいっぱいある。貪欲に。何もかも吸収できる時期は、そう長くないんだから。





0 件のコメント:

コメントを投稿